活動報告(No.110):50年ぶりの音信
2026年(令和8年)5月10日(日)
50年ぶりの音信

5月7日(木)、手打地区の訪問を終え、瀬々野浦に帰る途中、「しんきろうの丘」に立ち寄りました。夕焼けには少し早い時間でした。
令和8年3月議会が3月23日に終わったことから、4月は主に甑島内で活動しました。以前にもこの報告で記述しましたが、甑島には多くの集落があり各集落を全て訪問するとなると、概ね1ヶ月ほどを要します。実日数はその半分ほどですが、本土での諸行事に参加したり天候不良であったりで、実際それぐらいかかります。
今回は4月初旬に里地区からスタートしゴールデンウィークにかけて手打地区まで南下し各集落を訪問させて頂きました。しかし、現時点でも桑之浦、藺牟田の一部、内川内、芦浜(長浜地区の一部)はまだ訪問できていません。
この間、多くの皆様とお会いし、また多くのご意見、ご要望を承りました。主なご要望等は空家、市営住宅など住環境に関わる課題、道路・河川・海岸の補修・整備、人口減に伴う地域社会の様々な課題、企業等の誘致あるいは児童数急減に伴う教育問題など様々なももがありました。
小さなエピソード・・・50年ぶりの音信・・・
半年ほど前のことです。今回と同様に上甑町平良地区を訪問させていただいたとき、あるご婦人から50数年前に滋賀県の定時制高校で同級生だった「宮野○○○」さんという女性を知らないかと尋ねられたことがありました。その同級生が私と同じ「宮野」という姓であったことから私が知っているのではないかと思い尋ねられたのでした。宮野の姓は甑島の中でも瀬々野浦と内川内だけであり、島内の他の集落の宮野姓はほとんどが瀬々野浦から移り住んだ子孫です。そのとき私はその同級生の方のことは知らなかったので、さっそく尋ねられたご婦人と同世代(71歳前後)の瀬々野浦と内川内の人に尋ねて回りましたが、どちらの地区にもいないとのことでした。結局、その後も消息は分からなかったのですが、今回長浜地区を訪問した際、N商店のご主人がたまたまご存知であり、「宮野○○○」さんは長浜出身で、さらにその方のお姉さんが長浜に住んでいるとのことでした。N商店のご主人にそのお姉さんから住所と電話番号を聞いていただき、今回、平良地区を訪問した際、尋ねられたご婦人にこれまでの経過と同級生の住所・電話番号をお伝えしました。ご婦人は大変喜ばれさっそくその日の夜にでも電話してみるとのことでした。
翌日には、そのご婦人から私に電話があり、定時制以来一度も会ったことがなかった同級生と昨夜、50数年ぶりにお話することができ大変懐かしく、またうれしかったとお礼の言葉をいただきました。
このエピソードは、地域課題の解決につながるなどの大(たい)それたものではありませんが、私としては地域を訪問することで島民の方に何がしかのお役に立てたことがうれしく、少し誇らしい気持ちになりました。(了)
- 手打地区の訪問を終え海岸で一休み。手打海岸は「釣りバカ日誌-9」のロケ地にもなった大変美しい海岸です。海岸線は長く一度に全体を写すことはできません。こちらは海岸の東側。
- こちらは手打海岸の西側。

