甑島(こしきじま)からの便り(第46便):ミニ西山会
2025年(令和7年)12月29日(月)
ミニ西山会

旧西山小学校(写真中央)と旧西山中学校(小学校の左下の大きな屋根)

旧西山小学校からナポレオン岩を望む。
12月26日(金)に鹿児島中央駅西側の「吾愛人(わかな)」さんでミニ西山会が開催されました。
西山会とは、昭和42年から昭和46年にかけて下甑町瀬々野浦の旧西山小・中学校に当時勤務された先生方で作られた会で昭和49年に結成され平成26までの40年間続いた親睦の会です。主に夏休みに当時の先生方とその家族が県内各地の温泉やホテルなどで集まり親睦を深めてきたとのことです。平成26年に会員の高齢化を理由に解散しましたが、このような会が長く続くことは珍しく、最後の西山会の模様は南日本新聞にも大きく掲載されました。私の義父(妻の父親)も当時の西山中学校の教師であったことからこの西山会のメンバーでした。妻も当時0歳から3歳まで両親と共に瀬々野浦に住んでいました。夏休みになるとこの西山会で家族旅行ができるのが楽しみだったそうです。
今回のミニ西山会は、様々なご縁がつながり開催されることになりました。当初昨年夏に計画されましたが台風等で延期になり、今回実現しました。参加者は当時の先生方3名と奥様2名、それに私と妻の7名でした。当時の西山小・中学校は鹿児島県の僻地のなかでも最も僻地に該当するところで赴任拒否する先生方もおられたそうです。そのような厳しい環境のなかでの生活であったため先生方や家族の絆が強く、離任した後もその絆は西山会として引き継がれていったものと思われます。
会が始まると当時の話で盛り上がりあっというまに時間が過ぎていきました。義父(安川先生)の笑い声が豪快で今でも鮮明に覚えていること、当時の村ではカメラを持っている人もいなかったことから結婚式の写真や証明写真を頼まれた話、受け持った児童・生徒や村人の話など・・・。また、当時は先生達が赴任してきたときは、その日のうちに歓迎の宴を催すしきたりがあったそうで、ある年は赴任してくる校長先生と数名の先生が乗船した汽船が大幅に遅れ、瀬々野浦についたのが深夜の0時を越えていたそうですが、そのときも0時過ぎから歓迎会が開催されたそうです。
このようにミニ西山会は昔話に花が咲きとても楽しく充実したものとなりました。私は兄姉が多かったことから当時の先生方の話を聞いたり写真を見たりで先生方のお顔は記憶にはありましたが、当時は3,4歳ぐらいでしたので先生方と直接お話しするのは今回が初めてでした。これも妻の両親(安川先生夫妻)とのご縁があったからだと感謝しています。妻の両親は母58歳、父63歳で年齢的には丁度今の私と妻ぐらいの年齢で既に亡くなっています。この会に参加できていればどんなに喜んだことか。
- 当時西山小学校勤務の左から神宮司先生、黒江先生、寺園先生。黒江先生と寺園先生は西山小が初任校だったそうです。
今年もまもなく暮れようとしています。今年一年大変お世話になり誠にありがとうございました。
皆様にとりまして新年が希望に満ち幸多き年となりますようお祈り申し上げます。(了)

